いつまで続くか分からないボクシング選手名鑑
4人目 斎藤 清作(さいとう せいさく)
前回は漫画「あしたのジョー」の主人公「矢吹 丈」について書いたが、
今回はその「矢吹 丈 」のモデルになった実在のボクサー「斎藤 清作」のお話。
始めに言っておかなければならないが、斎藤清作がボクサーとして活躍した時代は昭和30年代。
私はまだ生まれておらず、現在に至るまでビデオなどで戦っている姿を見たことも無い。
したがって今回は雑誌で読んだり、人から聞いた話しだけをたよりに書いていこうと思う。
1940年11月、宮城県仙台市の農家の次男として生まれる。
小学校に入学すると、貧しく弁当を持って来れないクラスメートのために弁当を分けてあげようと、母親に余分に弁当を作ってもらうのだが、弁当を持って来れない子はたくさんいたため全く足りなかった。
困った清作少年はそのまま学校を休んでしまった。
地元の高校に入学した清作は、ボクシング部に入部する。2年のとき県大会で優勝。
卒業後は上京し、1960年にプロボクサーとしてデビューすると、2年後の1962年に日本フライ級王座を獲得。
2度の防衛を果たした後、1964年に王座陥落し現役を引退する。
斎藤は少年時代に泥遊びをしている時、泥が左目に入ってしまい、それが原因で左目の視力をほとんど失っている。
すぐに病院で治療をすれば治っていた可能性が高かったにもかかわらず、親に心配かけさせまいと黙っていた事が災いしてしまったのである。
そのため、本来ならば視力に関する規定によりプロテストを受ける資格は無い。
しかし斎藤はその事実を隠し、視力表を丸暗記してプロテストに合格したのである。
だが、片目の視力を失っている事はボクサーとしては、当然致命的である。
試合では、その弱点をカバーするために斎藤は防御の姿勢をとらず、対戦相手をおびき寄せ、さらには相手のパンチをかわさずにあえて打たれるという作戦をとった。
そして相手が打ち疲れたところで反撃をするという捨て身のファイトスタイルで戦った。
いわゆる「ノーガード戦法」というやつであるが、これは「諸刃の剣」である。
結果、斎藤の頭部には相当なダメージが蓄積されてしまい、引退後は言語障害・健忘症や夜尿症など、パンチドランカーという後遺症が残ってしまった。
「視力喪失」「ノーガード戦法」「パンチドランカー」
斎藤に課せられたこれらの運命やファイトスタイルが「あしたのジョー」の主役・矢吹 丈のモデルになった所以とされている。
ボクシング引退後、斎藤はコメディアンの由利徹に弟子入りし
芸名を「たこ八郎」とし、芸能界にデビューする。
そう、矢吹丈のモデルとはあのコメディアン「たこ八郎」なのである。
たこ八郎が元ボクサーだった事は知っていたが、コメディアンとしての姿しか見たことがない私にとって、この事実はどうしても受け入れ難かった。
「一体、こいつのどこらへんがジョーなんだ!?前髪を過度にデフォルメしたところか?」
小学生当時の私は真剣に悩んだ。
たこ八郎は、師匠である由利徹宅にしばらく居候していた。しかし、たびたびあった夜尿症のため、師匠に申し訳なく思い、家を出て友人宅を泊まり歩くようになった。
周囲の人に迷惑をかけながらも、一方でいつも助けてもらっていた彼は、世話になった友人達にいつも
「迷惑かけてありがとう」と言い残していた。
酒場ではチンピラ相手に喧嘩をするようなことも少なくなかったようだが、
素直で純朴な彼は、いつも周囲の人に歓迎されていたらしい。
1985年7月、たこ八郎は飲酒後に海水浴をし、心臓発作を起こしてしまいそのまま亡くなってしまった。44歳。
この事件は記憶にある。
翌日、新聞やTVなどで「タコ、海で溺死」などと報じられ、自らの死すら洒落で飾ってしまったことに、不謹慎ながらも笑ってしまった。
誰からも好かれた彼の葬儀には多くの友人・知人が集まった。
このときワイドショーのインタビューでマイクを向けられたタモリは
「タコが海で死んだ。何も悲しい事は無い。。。。」
と涙を堪え、生前のたこ八郎のキャラクターにふさわしいコメントを残したことはあまりにも有名である。
私は、ボクサー斎藤清作に対しても、コメディアンたこ八郎に対しても特別思い入れがあるわけではない。
しかし、斎藤清作というボクサーの存在がなければ、日本のボクシング界に多大な影響を与えた作品「あしたのジョー」は生まれていなかったかもしれないのだ。
そんな事を考えていたらどうしても斎藤清作(たこ八郎)について書いてみたくなったのである。
◇ボクシング生涯成績 最終戦績34勝(11KO)8敗1分
第13代日本フライ級チャンピオン
◇出演作品(映画・TV・自伝ドラマ等)
新網走番外地 吹雪の大脱走 (1971年)
現代やくざ 人斬り与太 (1972年)
新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義 (1972年)
聖獣学園 (1974年)
幸福の黄色いハンカチ (1977年)
ムー (1977年)
ムー一族 (1978年)
トラック野郎 熱風5000キロ (1979年)
下落合焼とりムービー (1979年)
探偵物語 (1979年)
戦争の犬たち (1980年)
思えば遠くへ来たもんだ (1980年)
愛染恭子の未亡人下宿 (1984年)
パンツの穴 (1984年)
カポネ大いに泣く (1985年)
ビッグマグナム黒岩先生 (1985年)
笑っていいとも!
たこ八郎物語(1990年)<たこ八郎役は片岡鶴太郎が演じた>
他多数
実際に私が観た作品は数作品しかないので、あまりコメントは出来ない。
ただ、「幸福の黄色いハンカチ」ではチンピラ役で少し出演しただけだが、
さすが元ボクサーという身のこなしをしていたのは印象に残っている。
死後、由利徹、赤塚不二夫、山本晋也らによって、「たこ地蔵」が建てられた。
現在、東京都台東区下谷の「下谷法昌寺」に祭られている。
最近のコメント