「いや、彼に弱点はない。最高のボクサーだ」
1994年12月4日 ボクシングWBC世界バンタム級タイトルマッチ
薬師寺保栄 VS 辰吉丈一郎
試合前、薬師寺のトレーナーであったマック・クリハラは「辰吉には6つの弱点がある」と言っていが、
薬師寺にはその弱点を一切教えなかった。
試合後に「何が弱点だったのか」聞かれたときに言ったのが、タイトルの言葉。
当時を思うと懐かしいが、今、リングに上がる辰吉の姿を見るのはツライ。
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1994年12月4日 ボクシングWBC世界バンタム級タイトルマッチ
薬師寺保栄 VS 辰吉丈一郎
試合前、薬師寺のトレーナーであったマック・クリハラは「辰吉には6つの弱点がある」と言っていが、
薬師寺にはその弱点を一切教えなかった。
試合後に「何が弱点だったのか」聞かれたときに言ったのが、タイトルの言葉。
当時を思うと懐かしいが、今、リングに上がる辰吉の姿を見るのはツライ。
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勝てる見込みの少ないと思った試合(選手)は圧勝。
危なげなく勝てると思った試合(選手)は辛勝。
最近、ボクシングの試合予想をするといつもこんな感じ。
否、昔から俺の予想はいつもそうかも。
世界レベルとは如何なるものか。
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5月23日メキシコ
ボクシングWBC世界Sバンタム級タイトルマッチ 12回戦
王者・西岡利晃(帝拳) 3回1分20秒TKO 同級2位・ジョニー・ゴンザレス(メキシコ)
敵地メキシコでの防衛戦、相手はジョニー・ゴンザレス。
正直、勝てる見込みは少ないと思っていた。
苦労の末、やっとつかんだチャンピオンベルトを、
もしかしたら、この試合で失ってしまうのではないか?
恐る恐るインターネットのスポーツニュースを開いて見ると、
なんとなんと!「防衛」の文字が。
しかも、「1R、相手の右ストレートを浴びてダウンしたが、冷静に戦い、3Rに左ストレート1発で決めた。」だと!
早速、出勤前に動画サイトで観戦。
ニコニコ動画フルラウンド http://www.nicovideo.jp/watch/sm7142036
youtube1,2ラウンド http://www.youtube.com/watch?v=GzD_V5Q6lHA
youtube3ラウンド http://www.youtube.com/watch?v=CTmdup_pLYI
すげえ。ホントに左ストレート一発で決めた!
敵地でここまで凄い勝ち方をするとは思ってもみませんでした。
海外での王座防衛も、1985年に渡辺二郎がはたして以来の快挙だ。
それに、してもこんな簡単に試合が観られるなんて。
恐るべしネット社会。
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3月12日
◇WBC世界バンタム級タイトルマッチ 12回戦◇
王者・長谷川穂積(真正) VS 同級1位・ブシ・マリンガ(南ア)
長谷川、今回は大苦戦するのかと思いきや、1ラウンドで3度ダウンを奪って、2分37秒無傷のTKO勝利。8度目の防衛。
◇WBC世界フェザー級タイトルマッチ 12回戦◇
王者・オスカー・ラリオス(メキシコ)VS 同級3位・粟生隆寛(帝拳)
両者は昨年10月にも戦い、その時はラリオスが勝利している。
今回は大差判定で粟生の勝利。新王者となった。
両選手とも、ほとんどダメージを受けることなく、リングを降りることが出来たみたいだ。
次戦も期待!
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WBA世界フライ級タイトルマッチ
坂田健史 2RKO負け
あー、マジかよ!
顎の骨を折られても倒れなかった精神力も、脳を揺らされてはさすがに・・・・。
それにしても悔しい負け方だった。
調子でも悪かったのか???
戦い続けていれば、いつかは負けてしまうもの。
それが勝負の醍醐味だ!
坂田はもともと3度目の挑戦でやっと世界王者になった。
何回も敗者復活から這い上がってきた選手。
来年も現役を続けるなら、また応援したい。
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ミニマム級といえば、2008年はWBC前チャンピオンのイーグル京和も引退。
軽量級の実力者がまたひとり日本のリングから去ってしまった。
新井田もイーグルもまだ見たかった。
そして2008年大晦日
WBA世界フライ級タイトルマッチ 12回戦
王者・坂田健史(協栄) × 同級1位・デンカオセーン・シンワンチャー(タイ)
元世界級王者のカオサイ・ギャラクシーカオサイ・ギャラクシーがデンカオセーンのセコンドに入るらしい。
技術的な面では、それほど大きな影響力はないと思うが。
坂田が、きっちり決着をつけてくれることに期待!
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2008年9月
WBC世界ミニマム級タイトルマッチ
新井田 豊 × ローマン・ゴンザレス(ニカラグア)
ローマン・ゴンザレスはリカルド・ロペス(メキシコ)の再来と評価され、
解説・各スポーツ誌等は、試合前からローマン・ゴンザレス時代の到来と、まるでロペスが世界初挑戦で来日したときと同じような扱い方だった。
リカルド・ロペスは、1990年 当時のWBCストロー級王者 大橋秀行からタイトルを奪うと、22度防衛して無敗のまま引退した。
完璧すぎて他のボクサーとは全く次元の違う強さだった。
ロペスに倒された左フックについて、大橋は試合後に「ボディと思ってガードを下げたら顔面に飛んできた」というようなことを語っている。
ビデオを見直してみると、その左フックはボディから顔面へと一瞬、軌道が変化しているのがわかる。
どういうトレーニングをしたらあんなパンチが打てるのか???
今でも『パウンド フォー パウンド(もし体重が同じなら誰が最強か)』という言葉を聞くとすぐにリカルド・ロペスを思い浮かべる。
ある程度なら、キャリアと顔を見て、そのボクサーの強さ・巧さを予測することが出来る。
ロペスもゴンザレスも傷の少ない端正な顔をしている。しかもKO率が高い。
つまり、これまで打たれずに倒してきたのだと予測できる。
しかし、新井田も日本ボクシング史上に残る天才ボクサーだ。
新人の頃、メキシコ現地で「ロペスはいずれ新井田に敗れるかもしれない」と評価されたこともあった。
「新井田の勝利も期待できる」と思った。
が、挑戦者ゴンザレスの強さは予想以上だった。
4回TKOで勝負はついてしまった。
新井田は、8度目の防衛に失敗。4年間守り続けたチャンピオンの座から陥落。
試合後に引退を表明した。
ゴンザレスはいずれ階級を上げるでしょう。
負けはしたが、新井田の過去の世界戦の中では、この試合が一番良かった。
3R、意を決したかのように打ち合いに出たその新井田の勇気は、本当に素晴らしかった。
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これだけは書いておかないといけない。
2008年9月
WBC世界S.バンタム級暫定王座決定戦12回戦
西岡 利晃(帝拳) VS ナパーポン・ギャットテイサックチョーチャクチャイ(タイ)
西岡利晃曰く「俺が世界チャンピオンになれないわけがない」
俺もそう思ってた。
個人的には特別好きなボクサーというわけではないが、
実力通りならもうとっくに世界チャンピオンになって、
何度か防衛して今頃は引退してても不思議ではなかった。
過去の世界戦は、当時の王者ウィラポンに4度挑戦(2000年~2004年)。
「次こそは、次こそは!」と思われながら、あと一歩のところで王座を奪うことが出来なかった。
4度の世界戦失敗、アキレスけん断裂。ジムからの引退勧告。
それでも現役を続け、チャンスを待ち続けた。その間実に4年半。
これは並大抵のことではない。普通なら諦めてるところだ。
そして今年9月、暫定ながら世界戦5度目にしてチャンピオンになった。
大きな挫折を乗り越えてきたからか、単に年齢を重ね人生経験がより豊かになったからか、試合後のインタビューで受けた印象は、20代の頃とだいぶ違うように感じた。
なんにしろ、ひさびさに胸が熱くなった一戦だった。
初防衛戦は来年1月3日。なんとか防衛してほしいものであります
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12・23 WBC世界フライ級タイトルマッチ
王者・内藤大助(宮田) × 同級13位・山口真吾(渡嘉敷)
11R、TKOで内藤が山口を下し4度目の防衛を達成した。
前半から内藤の右が良く当たっていた。
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12・6ラスベガス
プロボクシングウェルター級ノンタイトル12回戦
WBC世界ライト級王者・マニー・パッキャオ(比国) VS 同Sウェルター級1位・オスカー・デラホーヤ(米国)
マニー・パッキャオ(比)
1995年プロデビュー。フライ級、スーパーバンタム級、スーパーフェザー級、ライト級の4階級制覇。
フィリピンの英雄、北京オリンピック開会式ではフィリピン選手団の旗手を勤める。アジア人最高のボクサーである。
オスカー・デラホーヤ(米)
1992年バルセロナオリンピックライト級で金メダルを獲得後プロデビュー。
スーパーフェザー級、ライト級、スーパーライト級、ウェルター級、ミドル級の6階級制覇
強いのはもちろん、華があり、(特に若いころは
)抜群のルックスで世界で最も人気のあるボクサー。
しかしなぜだか(特に若い頃の
)デラホーヤを見ると郷ひろみを思い出してしまう。
さてパッキャオVSデラホーヤ
契約体重66.6キロ。注目はフライ級上がりのパッキャオが、元ミドル級世界王者のデラホーヤ相手にどこまでやれるか。
結果は8回TKOでパッキャオ勝利!
しかも一方的な内容だったとか。
戦績はパッキャオが48勝(36KO)3敗2分け、デラホーヤは39勝(30KO)6敗となった。
大偉業達成。伝説誕生である。
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今日、ボクシングの世界戦が2試合行われた。
WBCフェザー級タイトル戦
王者 オスカー・ラリオス(メキシコ) VS 9位 粟生隆寛(あおう たかひろ)
オスカー・ラリオスは過去何度も日本で試合をした馴染みの深い選手だ。
最近のボクシング情勢にうとくなってしまった自分は、ラリオスがまだ現役で、しかも世界チャンピオンだったことを知らなかった。
試合は粟生がラリオスから4Rにダウンを奪い、5Rにもダウン寸前まで追い込み、途中までは粟生の勝利が濃厚だった。
しかし、その劣勢を跳ね返してしまうところがラリオスの凄いところだ。
試合結果はラリオスの判定勝利。
あのようなピンチも、ものともしない実力があるからこそ、こうして長い間世界の頂点に君臨できるのだろう。
実力がありながらも、あと一歩のところでチャンピオンになれず消えていったボクサーは数多い。
粟生の今後に注目したい。
WBCバンタム級タイトル戦
王者 長谷川穂積 VS 2位 アレハンドロなんとか(メキシコ)
2Rに長谷川が相手からダウンを奪うと、その後立ち上がってきた相手に連打を叩き込み、そのままレフリーストップで長谷川の勝利。7度目の王座防衛に成功。
レフリーのストップが早いようにも思えるが、相手の攻撃に対して防御の姿勢をとれなくなったら、その時点でKO負けとなるのが現在のボクシングのルールである。選手の健康管理を重視してのことだ。
序盤にダウンを奪いながら、最後まで仕留めきれず逆転負けを喰らってしまった粟生とは対照的な結果だった。
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1980年代、世界中のボクシングファンを熱狂させた人気、実力ともに申し分のない4人のボクサー。
トーマス・ハーンズ、マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュラン
彼等はウェルター級からスーパーミドル級まで階級を上げながら、お互いが勝ったり負けたりの対戦繰り返し、やがて交互に世界チャンピオンになっていった。それぞれが世界チャンピオンの名に恥じない、後世に名を残した名選手だ。
① トーマス・ハーンズ(米国)
身長188センチ、リーチ198センチの8頭身。一度見たら脳裏に焼きついて離れない強烈な顔!
トーマス・ハーンズの第一印象は4人の中で一番インパクトが強い。
そのうえ、このド迫力のビジュアルから、マシンガンの如く桁外れに強烈なパンチを繰り出すのだから、対戦相手はたまったものではない!
1984年6月15日、ラスベガスで行われたWBC世界ウェルター級タイトルマッチで、対戦相手のロベルトデュランを失神KOさせたパンチは
「ラスベガス恐怖の一撃」と言われている。ビデオでこのシーンを観て一瞬「デュラン
だか??」と思ってしまった。
ロベルト・デュランを倒し、勢いに乗ったハーンズはその翌年、階級を上げ、
世界統一ミドル級王者マービン・マーベラス・ハグラーに挑むのであった!
② マービン・ハグラー(米国)
アマチュアボクサーでもあった中学の担任の先生はハグラーの大ファンであり、僕や他の運動部の生徒達によくハグラー強さについて語っていた。
ハグラーはデビューから何十戦も戦って、ようやく世界チャンピオンになれた苦労人。
弱かったのではない。強すぎたのだ。
強すぎたがゆえ、当時の世界チャンピオン達はハグラーの挑戦を恐れ、対戦を避けた。
そのためなかなか世界タイトルに挑戦することが出来なかった。
「凄いのう、ハグラーは」と思ったものだ。(当時こむじ13才頃)
その後、校舎の壁に何者かによって、油性マジックで「ハグラー」と落書きされ、担任の先生が激怒するという事件が起き、問題になったことがあった。
あれは一体誰の仕業だったのか・・・。
1985年4月、ウエルター級から階級を上げてきたトーマス・ハーンズの挑戦を受けるが、ハグラーはこれを3RであっさりとKO勝利。
やっぱ凄いのぅ、、ハグラーは!
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先日、実家の部屋に置きっぱなしにしてある自分の荷物を片付けていたら、懐かしいボクシングのビデオが出てきた。
タイトルは「世界を熱狂させた4人のスーパースター チャンピオン伝説2」
1980年代、世界の中量級(体重70キロ前後の階級)には4人のスーパースターが君臨していた。
その4人、トーマス・ハーンズ、マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュランの因縁ともいえる四つ巴の戦いを詳細にレポートしたものである。
僕が本格的にボクシングに興味を持ち始めた10代前半の頃は、今のようにインターネットのサイトで、海外の試合を気軽に鑑賞できるような時代ではなく、ごくたまにTVで放送される映像を観る以外は、ボクシングの専門誌に載っている選手の写真と文章だけで、その選手の動きや強さを想像するのが精一杯だった。
小遣いでは、有名選手のビデオなど、そう何本も購入することも出来なかったし、そもそもそんなもの売っている場所も種類も限られていたし、レンタルなどはほとんどされていない。
想像力でボクシングを楽しんでいた少年時代、ボクシングへの憧れは益々強くなっていった。
古いビデオを見つけたら、その頃の懐かしさがよみがえってきた。
ハーンズ、ハグラー、レナード、デュランの記事は雑誌などで目にすることが多かった。記事に書かれている内容は、どれも絶賛するものばかり。
彼等が一体どんなボクサーなのか確かめたく、都内の格闘技専門店にビデオを探しに行ったりしていた。
その当時、アメ横のとある雑居ビルに格闘技ショップがあって、ある日、お金を貯めて数ヶ月ぶりに行ってみると、全く別の事務所に変わってしまっていたことがあった。
(あれ、たしかこのビルだったはずなのに、おかしいな)と思いながらドアを開けてみる。
お店の面影が全く無い!お店というよりも、何か会社組織の事務所のような無機質な空間が漂う。
一応「すいません」と呼びかけるが、応答がない。
間仕切りのせいで部屋の奥が見えないが、明らかに人の気配がするので、意地になって呼びかける。
もうこの時点で格闘技ショップは無くなっている事に気づいたが、しつこく何度も呼びかけてしまったので、勝手に帰るわけもいかず、とりあえず誰か来たらとぼけて訊ねてみるか、と思う。
「おおぅ!!!」と明らかに挑戦的な口調の返事と同時に現れたのは、一般の人はあまり着そうにない派手な色合いのダブルのスールに身を包んだ人だった。
こむじ少年
「(ぬぉわっ・・・!!!)あれ、ここって格闘技ショップじゃなかったでしたっけ???」
「今はもう違うんだよっ!」
「じゃあ今は何の事務所になってんですか?」なんてとても聞けるような相手じゃなかったので、足早にその場を去る。
20年以上前の出来事。今でもその場面だけは鮮明に覚えているが、その前後の記憶はもうない。あの事務所は一体・・・。
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世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトルマッチ12回戦
王者 内藤大助 VS 同級1位 ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)
は引き分けで内藤が2度目の防衛に成功した。
これで両者の戦績は、内藤が戦績は32勝(20KO)2敗3分。ポンサクレックは67勝(35KO)3敗1分。
試合は両選手、神経をすり減らすような攻防で、見ているほうも疲れるほど緊張感のある一戦だった。
内藤の変則的な動きは、ダニエル・サラゴサのように対戦相手にとってはやり難さがあるのかもしれない。
試合自体は、KOでなくてもボクシングの醍醐味が味わえる良い内容だった。
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明日、3月8日ボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチ 12回戦。
王者・内藤大助(宮田) VS 同級1位・ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)
両者は通算4度目の対戦となる。
一度目の対戦は2002年4月
世界王者のポンサクレックに内藤が挑戦したわけだが、試合開始わずか34秒で内藤のKO負け。これは世界フライ級タイトルマッチ史上最短KOという、なんとも不名誉な記録を残してしまい、内藤もボクシングファンから散々叩かれた。内藤は前年の2001年7月に日本タイトルに挑戦していたが、引き分けでタイトルに手が届かず、国内タイトルも獲得していない選手を世界タイトルに挑戦させることに疑問視する声も多くあがった。
その時の日本チャンピオンこそ、現WBA世界フライ級王者の坂田健史である。
ポンサクレックは4度目のタイトル防衛。
二度目の対戦は2005年10月
この時は負傷により7回TKO負け。ポンサクレックは12度目の世界タイトル防衛に成功。
三度目は2007年7月
3度目の挑戦でついに判定勝利。悲願の世界王者を獲得。
そして明日、四度目の対戦。
たぶん五度目の対戦は無い。
因縁のような2人の対戦は明日で決着がつく。
なんか内藤が目じりをカットしてしまい、大苦戦をする予感がする。
それと、ある程度の年齢以上のボクシングファンにとっては、内藤の入場曲 「C-C-B」の「Romanticが止まらない」が流れた時が、最初のクライマックスかもしれない。
懐かしいから。
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2007年ボクシング、プロ、アマ年間表彰が発表された。
プロの部での主な受賞は次の通り。
☆最優秀選手賞☆
WBC世界フライ級チャンピオン
内藤 大助(宮田)
☆技能賞☆
WBC世界フェザー級チャンピオン
ホルヘ・リナレス(帝拳)
☆殊勲賞☆
WBA世界フライ級チャンピオン
坂田 健史(協栄)
☆敢闘賞☆
WBA世界ミニマム級チャンピオン
新井田 豊(横浜光)
☆努力賞☆
日本ウエルター級チャンピオン
湯場 忠志(都城レオスポーツ)
☆KO賞☆
ホルヘ・リナレス(帝拳)
湯場 忠志(都城レオスポーツ)
☆新鋭賞☆
WBC世界スーパーバンタム級4位・WBA同級8位、日本スーパーバンタム級チャンピオン
下田 昭文(帝拳)
☆年間最高試合賞☆
WBC世界フライ級タイトルマッチ(7月18日)
ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)VS内藤 大助(宮田)
内藤の表彰は、話題性の強かった亀田戦の勝利とは無関係で、フライ級世界チャンピオンの座に6年間も君臨し、17度の防衛をした最強王者、ポンサクレックに勝利した実績が評価されたものだ。
それにしても内藤は亀田戦以降あんなにTV出てて、次の防衛戦は大丈夫なのだろうか。
アマチュアでは、北京オリンピック出場を決めた川内将嗣(専大)が最優秀選手賞に。
そして、特別賞には、なんとあのジョー小泉が選ばれた!!!
また、ジョー小泉は、12月11日(日本時間12日)2007年のボクシング殿堂入りメンバーにも選ばれている。
殿堂入りは、ファイティング原田に次いで、日本人としては史上2人目の快挙であり、名誉ある受賞といえる。2008年6月、ニューヨークのボクシング殿堂博物館で行われる式典にも出席されるようだ。
選手としての経験は無いのだが、国際マッチメーカー、トレーナー、評論家、TV解説者、などなど、あらゆる立場からボクシング界に貢献してきた、とてもスゴイ人なのである。ジョー小泉は!!!
ボクシング界は、相変わらず人気低迷の時代が続いているが、2008年は選手も関係者も、アドレナリン大放出の活躍に期待する!
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世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトルマッチ12回戦
チャンピオン ポンサクレック・ウォンジョンカム (タイ)VS挑戦者 内藤大助(宮田ジム)
の一戦が、さきほど東京・後楽園ホールで行われた。
結果は、挑戦者の内藤大助(宮田)が3-0の判定で勝利、タイトル奪取に成功した。ポンサクレックは18度目の王座防衛に失敗。
インターネットでボクシングのニュースを見てたら目に飛び込んできた記事だ。感想とか読んでみると、かなり凄い試合だったみたいだ。
内藤は過去に二度ポンサクレックに挑戦して負けている。2002年4月に挑戦したときは、試合開始わずか34秒でKO負けという、フライ級世界戦史上最短という不名誉な記録を残してしまっているから、今回の勝利で見事に名誉挽回したと言えると思う。
TOKYO MXテレビで午後7時30分から9時まで放映されていたらしいのだが、TV放映があったなんて全然知らなかった。8時には家に居たのに・・・。
内藤選手は、夫婦で犬の散歩をしているところをたびたび見かけていた(同じ区内の住人???)せいもあってか、親近感もあって応援したい選手の一人でもある。
それだけに見逃してガッカリ・・・。
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いつまで続くか分からないボクシング選手名鑑
5人目 浜田 剛史(はまだ つよし)
1986年7月WBC世界Jウェルター級タイトルマッチ
王者 レネ・アルレドンド(メキシコ)VS挑戦者 浜田剛史(日本)
「過去、最も記憶に残っているボクシングの試合は?」
と聞かれたら、僕は迷わずこの試合を選ぶ。
数多くの名勝負の中でも、この一戦から受けた衝撃は、試合後20年以上経った今でも全く薄れていない。
当時の日本ボクシング界は、WBA・WBC世界J・バンタム級統一王者 渡辺二郎が通算12度のタイトル防衛ののち、ついに王座陥落。
国内に世界チャンピオンは不在、ボクシング人気は下降線を辿りつつあった時代だった(ようである)。
そんな中、浜田剛史の世界タイトル奪取に寄せるファンの期待は大きく、試合が近づくにつれ、テレビでも大きく報道されていた。
僕はその報道を見て、初めて浜田剛史というボクサーの存在を知ったわけだが、TVに映し出された過去の試合のハイライトシーンを見て、浜田の獰猛なファイトスタイルに圧倒されてしまったのだ。
ボクシングの醍醐味であるKO。そのKOの山を築いていた浜田は、
「拳から相手の顎までの距離、10センチあれば倒せる」と言う独特のパンチ哲学を持っていた。
強すぎるパンチ力は、15連続KO勝利という未だ破られていない日本記録を打ち立てたことで証明した。
1989年7月、浜田はついに世界タイトル挑戦のリングに上がった。
しかし、それまでの道のりは実に険しいものだった。
ハードパンチャーゆえに左拳を4度骨折。右膝の故障。怪我と手術のくりかえしによる2年間のブランク。
世界戦のリングに上がった浜田の身体は既にボロボロの状態。
とても長丁場の世界戦を最終ラウンドまで戦い抜くコンディションではなかった。
しかも、対戦相手の世界王者レネ・アルレドンドのこの時の戦績は、37勝(35KO)2敗。
なんとKO率9割。浜田を凌ぐキャリアと強打の持ち主だった。
第一ラウンド、ゴングと同時に浜田はアルレドンドに詰め寄りいきなりのラッシュを仕掛ける。
勢い余って身体ごとロープに突っ込んでしまうほどの怒涛の攻撃。
スタミナの配分など全く眼中に無い。
相手に考える時間は一切与えず、試合のペースを握られる前に、一気に勝負をつけてしまおうという作戦だ。
先手必勝!短期決戦!満身創痍の浜田がアルレドンドからベルトを奪うには、この作戦しかなかったのだ。
1ラウンド終了間際、完全に後手に回ったアルレドンドの顎に浜田の右フックが炸裂する。
衝撃でアルレドンドの膝がガクッと折れ、次のパンチで顎が跳ね上がり、アルレドンドはマットに沈んだ。
仰向けになりレフリーのテンカウントが終わっても暫らく起き上がれないほどのダメージ。
観客は興奮し、リングには座布団が舞う。
衝撃的な幕切れだった。
翌年、両者は再戦する。
今度は浜田がアルレドンドに一方的に滅多打ちにされ、流血の末、6ラウンドTKOで敗北を喫してしまう。
信じられない光景だった。
この2戦を通じて「ボクサーの栄光と挫折」をまざまざと見せつけられた。
あの試合から20年。
ネットで試合の動画を検索してみたら、簡単に見つかった。
こんなかたちで当時の記憶が甦ってくるとは思わなかった。
便利な時代である。
◇生涯戦績
24戦21勝(19KO)2敗1無効試合
◇引退後はボクシング雑誌「ワールドボクシング」での連載や
日本テレビ、WOWOWでボクシング中継の解説者としてボクシング界に携わっている。
◇レネ・アルレドンドVS浜田剛史(第1戦目)7分46秒
そういえば試合前の浜田の「ガン飛ばし」は迫力があって、魅力の一つだったんだけど、この時はアルレドンドが目を合わせなかったから不発だったんだよな~。
http://www.youtube.com/watch?v=On0y75JGksA
◇浜田剛史VSクロード・ノエル(トリニダードトバコ) 3分28秒
浜田の強烈な左カウンターが炸裂!(1分43秒あたり)骨が砕けたような音が痛々しい。
http://www.youtube.com/watch?v=711ePxs5UhI
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いつまで続くか分からないボクシング選手名鑑
4人目 斎藤 清作(さいとう せいさく)
前回は漫画「あしたのジョー」の主人公「矢吹 丈」について書いたが、
今回はその「矢吹 丈 」のモデルになった実在のボクサー「斎藤 清作」のお話。
始めに言っておかなければならないが、斎藤清作がボクサーとして活躍した時代は昭和30年代。
私はまだ生まれておらず、現在に至るまでビデオなどで戦っている姿を見たことも無い。
したがって今回は雑誌で読んだり、人から聞いた話しだけをたよりに書いていこうと思う。
1940年11月、宮城県仙台市の農家の次男として生まれる。
小学校に入学すると、貧しく弁当を持って来れないクラスメートのために弁当を分けてあげようと、母親に余分に弁当を作ってもらうのだが、弁当を持って来れない子はたくさんいたため全く足りなかった。
困った清作少年はそのまま学校を休んでしまった。
地元の高校に入学した清作は、ボクシング部に入部する。2年のとき県大会で優勝。
卒業後は上京し、1960年にプロボクサーとしてデビューすると、2年後の1962年に日本フライ級王座を獲得。
2度の防衛を果たした後、1964年に王座陥落し現役を引退する。
斎藤は少年時代に泥遊びをしている時、泥が左目に入ってしまい、それが原因で左目の視力をほとんど失っている。
すぐに病院で治療をすれば治っていた可能性が高かったにもかかわらず、親に心配かけさせまいと黙っていた事が災いしてしまったのである。
そのため、本来ならば視力に関する規定によりプロテストを受ける資格は無い。
しかし斎藤はその事実を隠し、視力表を丸暗記してプロテストに合格したのである。
だが、片目の視力を失っている事はボクサーとしては、当然致命的である。
試合では、その弱点をカバーするために斎藤は防御の姿勢をとらず、対戦相手をおびき寄せ、さらには相手のパンチをかわさずにあえて打たれるという作戦をとった。
そして相手が打ち疲れたところで反撃をするという捨て身のファイトスタイルで戦った。
いわゆる「ノーガード戦法」というやつであるが、これは「諸刃の剣」である。
結果、斎藤の頭部には相当なダメージが蓄積されてしまい、引退後は言語障害・健忘症や夜尿症など、パンチドランカーという後遺症が残ってしまった。
「視力喪失」「ノーガード戦法」「パンチドランカー」
斎藤に課せられたこれらの運命やファイトスタイルが「あしたのジョー」の主役・矢吹 丈のモデルになった所以とされている。
ボクシング引退後、斎藤はコメディアンの由利徹に弟子入りし
芸名を「たこ八郎」とし、芸能界にデビューする。
そう、矢吹丈のモデルとはあのコメディアン「たこ八郎」なのである。
たこ八郎が元ボクサーだった事は知っていたが、コメディアンとしての姿しか見たことがない私にとって、この事実はどうしても受け入れ難かった。
「一体、こいつのどこらへんがジョーなんだ!?前髪を過度にデフォルメしたところか?」
小学生当時の私は真剣に悩んだ。
たこ八郎は、師匠である由利徹宅にしばらく居候していた。しかし、たびたびあった夜尿症のため、師匠に申し訳なく思い、家を出て友人宅を泊まり歩くようになった。
周囲の人に迷惑をかけながらも、一方でいつも助けてもらっていた彼は、世話になった友人達にいつも
「迷惑かけてありがとう」と言い残していた。
酒場ではチンピラ相手に喧嘩をするようなことも少なくなかったようだが、
素直で純朴な彼は、いつも周囲の人に歓迎されていたらしい。
1985年7月、たこ八郎は飲酒後に海水浴をし、心臓発作を起こしてしまいそのまま亡くなってしまった。44歳。
この事件は記憶にある。
翌日、新聞やTVなどで「タコ、海で溺死」などと報じられ、自らの死すら洒落で飾ってしまったことに、不謹慎ながらも笑ってしまった。
誰からも好かれた彼の葬儀には多くの友人・知人が集まった。
このときワイドショーのインタビューでマイクを向けられたタモリは
「タコが海で死んだ。何も悲しい事は無い。。。。」
と涙を堪え、生前のたこ八郎のキャラクターにふさわしいコメントを残したことはあまりにも有名である。
私は、ボクサー斎藤清作に対しても、コメディアンたこ八郎に対しても特別思い入れがあるわけではない。
しかし、斎藤清作というボクサーの存在がなければ、日本のボクシング界に多大な影響を与えた作品「あしたのジョー」は生まれていなかったかもしれないのだ。
そんな事を考えていたらどうしても斎藤清作(たこ八郎)について書いてみたくなったのである。
◇ボクシング生涯成績 最終戦績34勝(11KO)8敗1分
第13代日本フライ級チャンピオン
◇出演作品(映画・TV・自伝ドラマ等)
新網走番外地 吹雪の大脱走 (1971年)
現代やくざ 人斬り与太 (1972年)
新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義 (1972年)
聖獣学園 (1974年)
幸福の黄色いハンカチ (1977年)
ムー (1977年)
ムー一族 (1978年)
トラック野郎 熱風5000キロ (1979年)
下落合焼とりムービー (1979年)
探偵物語 (1979年)
戦争の犬たち (1980年)
思えば遠くへ来たもんだ (1980年)
愛染恭子の未亡人下宿 (1984年)
パンツの穴 (1984年)
カポネ大いに泣く (1985年)
ビッグマグナム黒岩先生 (1985年)
笑っていいとも!
たこ八郎物語(1990年)<たこ八郎役は片岡鶴太郎が演じた>
他多数
実際に私が観た作品は数作品しかないので、あまりコメントは出来ない。
ただ、「幸福の黄色いハンカチ」ではチンピラ役で少し出演しただけだが、
さすが元ボクサーという身のこなしをしていたのは印象に残っている。
死後、由利徹、赤塚不二夫、山本晋也らによって、「たこ地蔵」が建てられた。
現在、東京都台東区下谷の「下谷法昌寺」に祭られている。
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3人目 矢吹丈(やぶき じょう)
TOKYO MXテレビで毎週月曜夜9時に、アニメ「あしたのジョー2」が再放送されている。
「あしたのジョー」に影響されてボクサーを志した人、ボクシングファンになった人は数多くいるだろう。
私はものごころついた頃から、ボクシングというスポーツに興味を抱いていた。
もちろん「あしたのジョー」を観た事によって、そのボクシング熱に拍車がかかったのは言うまでもないが、
もともとは「ボクシングこそ男のスポーツ」と口癖のように言っていた父親の影響が強くあったと思う。
父親は私を本気でボクサーにしたかったようだったが、当時(昭和50年代)はまだまだボクシングの社会的地位は低く、現在のようにちびっ子が気軽にボクシングが出来るような環境ではなかった。
さて、この「あしたのジョー」によって一躍有名になったのが「泪橋(なみだばし)」だ。
隅田川に架かる白髭橋を渡り、明治通りを三ノ輪方面へ進むと泪橋交差点がある。
ここが「あしたのジョー」の舞台になった場所であり、昔は「思川(おもいがわ)」という川が流れ、橋が架かっていたらしい。
作品中ではその橋(泪橋)の下に<丹下拳闘クラブ>が建てられていた。 現在は川も橋も姿を消し、ごく普通の交差点になっている。もはや作品の中に出てくる風景とは似ても似つかない街並みに変貌している。
*****泪橋の由来*****
江戸時代、吉原遊郭方面から来てこの泪橋を渡った先に「仕置場」と呼ばれる処刑場があった(現在の南千住のあたり)。
当時、囚人達はこの橋を渡り処刑場へ運ばれた。
涙を流してこの世と家族と別れ、橋を渡り処刑場へと運ばれる囚人。そして身内も涙で見送ったといわれる。
そのことからいつしかこの橋は「泪橋」と呼ばれるようになった。
***あしたのジョーと泪橋***
「あしたのジョー」では泪橋のことは「人生・社会に敗れ生活に疲れ果てて流れ着いた人間が涙で渡る悲しい橋」と表現されている。
しかし矢吹丈と丹下段平にとって泪橋とは「汗と精進の涙でこの泪橋を逆に渡っていくんだ」
という具合に、あしたの栄光を目指すための架け橋であった。
人生にやぶれ流れ着いた人と人生の再起をかけてそこに留まり戦う人の対照的な描写
人の運命を象徴しているかのような泪橋の所以と、勝者と敗者のコントラストが鮮明なスポーツ、ボクシングを重ね合わせ描かれた作品「あしたのジョー」。
子供の頃はただカッコイイという憧れだけで観ていたが、
いまこうして違った角度から観ると、ボクサーと彼等を囲む様々な人の運命の明暗を感じずにはいられない。
<次回予告>
いつまで続くか分からないボクシング選手名鑑
第4打撃目 めいわくかけてありがとう。。
奴は泪橋を逆に渡ることができたのだろうか!?
「あしたのジョー」の主人公、矢吹丈にはモデルとなった実在のボクサーがいた。
たこちゃんの愛称で知られた彼は、ボクシングで日本チャンピオンになるが、44歳のとき海水浴中に亡くなってしまう。
翌日の新聞には「たこが海で溺死」などと報道されるなど、その愛嬌のある人柄は誰からも好かれたという。
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いつまで続くか分からないボクシング選手名鑑
2人目坂本博之
1970年生まれ。福岡県出身。幼少の頃、両親の離婚により親戚の家に預けられるも、食事が与えられないなど酷く虐げられてきた。
その後、和白青松園という児童擁護施設に入り、そこのTVで映っていたボクシングの試合を見て、自分もボクサーになることを決心する。
やがて東京に移住し、高校を卒業すると角海老宝石ジムに入門。本格的にプロボクサーを目指す。
プロデビュー後は豪打で対戦相手を次々とマットになぎ倒してきた。
その豪快な倒しっぷりからいつしか「和製デュラン」「平成のKOキング」と呼ばれるようになった。
坂本が活躍した同時期には、強さと派手なパフォーマンスを兼ね備えた多くのアイドルボクサーが注目を浴びていた時代だった。
しかし、坂本は彼らとは全く異質の存在感があった。
ボクシングはハングリースポーツの代名詞として例えられるが、坂本は幼少期に本当の飢えを経験している。
親戚の家では食事が与えられなかったため、毎日が飢えとの戦いだった。
栄養失調や拒食症にまでなり、生きるためにザリガニやトカゲでさえ食って空腹を凌いでいたという。
そういった不遇の人生を乗り越えてきた体験が精神力の強さとなって、ボクサー坂本の土台を形成していたのだと思う。
ボクサーになった後、坂本はかつて自身が世話になった和白青松園に、ファイトマネーの一部を寄付したり、ダンボール箱いっぱいにお菓子を持って度々訪れたりもしている。
そして子供達に必ず世界チャンピオンになる事を約束し、力の限り戦い続けた。
坂本が戦う理由は自分のためでもあり、子供達の願いのためでもあった。
そして、1997年7月、ついに世界チャンピオンへの挑戦が決まった。
相手はWBC世界ライト級チャンピオン、スティーブ・ジョンストン(米国)
アマチュアで257勝9敗、プロで21戦全勝のキャリアを誇る。
ボクシングスタイルは、多彩で的確なパンチと攻防のバランスが取れた世界屈指のテクニシャンである。
対する挑戦者坂本は
「技術をパワーが粉砕する」「あの教科書のようにきれいなボクシングを圧倒的なパワーでガチャガチャにぶち壊してやる」
と意気込んでいた。
僕の記憶が正しければ、たしか和白青松園の子供達が会場に駆けつけ、2階席から<がんばれ坂本先輩>という垂れ幕を飾って応援していたはずだ。
多くのファン、施設の子供達が見守る中ゴングは鳴らされた。
坂本は1Rから猛然と襲いかかった。空間を切り裂くようなパンチを立て続けに放った。坂本がパンチを繰り出す度に観客からはどよめきの声が漏れた。それほど、この日の坂本のパンチは凄まじかった。
テクニックで上回るチャンピオンは、坂本のパンチをかわし続け、逆に確実に坂本の顔面にパンチをヒットさせる。
しかし、いくらパンチを食らっても坂本は倒れない。ビクともしない。表情がまったく変わらないのだ。
僕は、ボクシングに魅了されてからもう20年以上経つが、試合を観戦して涙を流すほど感動したのは、シリモンコン・ナコントン・パークビュー(タイ)VS辰吉丈一郎の一戦とこのスティーブ・ジョンストンVS坂本博之の2戦だけだ。
坂本は、この試合を含め計4度の世界挑戦をしているが、そのすべては叶わなかった。
努力したことが必ずしも思い通りの結果に結びつくとは限らないという現実の厳しさ。
しかし、不遇の人生で、どんな逆境を目の当たりにしても決して腐らず、道を外れることの無かった坂本の姿は、子供達にとって、きっと大きな励みになるに違いない。
坂本の活躍により、全国の多くのボクシングファンから施設にはパソコンなど、たくさんの寄付が送られた。
この豊かで飽食の時代でも、和白青松園のような施設はまだまだ必要とされ続けているのだ。
今年1月6日、坂本博之はラストファイトを終え、引退した。
生涯戦績は47戦39勝(29KO)7敗1分
◇著書
『坂本博之 不動心』
「殺気と拳の力は比例する」
不遇の幼少期を強い精神力で乗り越え、そこから形成された男のボクシング観!
『ちくしょう魂』
「俺の拳には子供達の願いが込められているからね。当たれば誰も立てないよ」
子供達の夢を一身に背負い、戦い続ける男の魂
◇坂本博之・HP「ラストファイト」
◇和白青松園HP
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いつまで続くか分からないボクシング選手名鑑 1人目
竹原慎二
広島県安芸郡出身、地元では「広島の粗大ゴミ」といわれるほど、手のつけられない不良少年だった彼は中学を卒業後上京し、東京の沖ジムに入門しボクシングを始める。
1989年17才でプロデビューした彼は初戦をKO勝利で飾った後、連勝街道を突き進み、新人王・日本ミドル級王座・東洋太平洋ミドル級王座を獲得し防衛を重ねた。
毎回試合前に、186cmという長身から相手を見おろし睨みつける威圧感は強烈だった。
アジアでは無敵の強さを誇る竹原だったが、竹原の階級は世界で最も選手層の厚いミドル級(体重72.58キログラム以下)である。
日本人の身体能力では、世界チャンピオンはおろか、それに挑戦することですら不可能と言われた階級だ。
それでも、彼は東洋太平洋王者として地道に防衛し続け、1995年12月ついにWBA世界ミドル級王座への挑戦権を獲得した。
当時チャンピオンに君臨していたのは、アマチュア・プロ合わせて200勝以上の成績を残している怪物、ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)。
かたや竹原の戦績は24戦24勝・・・アマチュアの経験はゼロ。
マスコミや世論など誰一人として竹原の勝利など期待する者はなく、誰もが無謀な挑戦だと思った。
それまで深夜のボクシング番組で竹原の試合を定期的に中継していたTBSも、期待の薄い世界戦に対しては放送枠を用意しなかった。
かろうじて、テレビ東京が深夜に録画放送をするのみだった。
竹原のテーマソング、ジョー山中が歌う「熱いバイブレーション」はそれまであまり好きでなかったが、この日、曲にのってリングに向かう竹原の姿は勇ましかった。
これから強大な相手に立ち向かっていくんだという強い覚悟の表情が伺えた。
日本中が勝てるわけ無いと予想するなか、なんと彼は序盤にダウンを奪い、その後も優勢に試合を進め、見事ミドル級世界王座獲得という快挙を成し遂げたのである。
翌年、ウィリアム・ジョッピー(米国)に敗北を喫してまもなくすると、網膜剥離を患い引退した。
王座を防衛することは一度も無かったが、竹原慎二はまぎれもなく、日本ボクシング史上記憶に残るボクサーの一人である。
引退後は、TV番組の出演や試合の解説、レストランの経営、CD・本の出版、ジム経営など幅広く活動している。
特にYahoo! JAPANのウェブマガジン・月刊チャージャー『竹原慎二のボコボコ相談室』はアクセス数も多く人気が高い。
◇ボクシング生涯戦績
25戦24勝1敗(18KO)
◇著書
『竹原スタイル』
『竹原スピリッツ』
札付きのワルがボクシングと出会い、世界の頂点まで登りつめ、やがて王座転落・引退後の生活に至るまで
さまざまな苦悩と挫折を味わった男の半生。
◇ラップCD
『下の下のゲットー』
2000年に通信販売開始!「お前ら弱い世界じゃ強いじゃろうが、強い世界じゃ下の下じゃ!」
◇月刊チャージャー『竹原慎二のボコボコ相談室』
最新の相談内容はこちら http://promotion.yahoo.co.jp/charger/200701/contents02/theme02.php
過去の相談内容はこちら http://promotion.yahoo.co.jp/charger/backnumber/category/bokoboko/r14_01.php
竹原慎二がサラリーマンの悩みに答えるコーナー。
しかしうかつには相談できません。ナメた相談内容には容赦の無い手厳しい回答をされて、文字通りボコボコにされてしまいます。
「なめてる奴は全員ボコボコにしちゃるけぇのぅ」
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1月3日、ボクシング日本-メキシコの5対5対抗戦は、3勝1敗1分けで日本が勝利した。
目玉はWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ
<王者>クリスチャン・ミハレス(メキシコ)対<挑戦者>川嶋勝重(大橋ジム)である。
彼らは昨年9月に一度対戦している。
その時は序盤に川嶋がダウンを奪うも、僅差の判定で負けている。
今回は川嶋にとってリベンジ戦だった。
TVで観戦していたのだが、6ラウンドあたりからKO決着にならないと、放送時間内に収まらないと思った。
その時点では相手のメキシコ人が完全に試合を支配していたが、まだ川嶋に決定的なダメージがあるようには感じられない。
技術では相手のほうが数段上だが、馬力なら圧倒的に川嶋に分がある。後半、川嶋の逆転KO勝利の可能性は十分期待できた。
しかし、まさか川嶋がTKOされてしまうとは!
それまでの過去35戦、一度もKOされたことが無いほどのタフネスを誇る川嶋がレフリーストップされる。
一瞬、目を疑るような光景だった。
応援しているボクサーが負ける姿を見るのはやはり悔しいが、勝負事とは案外こんなものなのかもしれない。
大橋秀行会長が、教え子の川嶋を「努力の天才」と称しているように、
脱サラして21才からボクシングを始めて世界を獲り、2度も防衛した練習量と根性は、天賦の才能に匹敵する。
川嶋選手、お疲れ様でした。
輪島功一氏「あのねぇ、オレなんか25才でボクシング始めて世界タイトル3回も獲ったんだよ。オレのほうが神なんだよ!」
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